■人生はなぜ厳しいのか
よく『人生は厳しい』と聞く。これは世界中で言われている事だろう。
では何故『人生は厳しい』のだろう。
強い者が生き、弱い者は死んで行くからだろうか。
高学歴の人しか生き残れないからだろうか。
お金が全てだからだろうか。
リストラされたからだろうか。
ほんの一握りしか成功しないからだろうか。
公務員しか生き残れないからだろうか。
若い時の私も、両親や先生やテレビなどから、『人生は厳しい』と良く聞かされていた。高学歴、ずる賢い人、みんなから一目置かれている人、才能に溢れる人、お金持ち、公務員などの一部の勝ち組しか、人生で生き残れないと考えていた。
しかし人生も中頃になり周りを見てみると、若い時に、人生の勝ち組で将来が約束されていると誰もが疑わなかった殆どの人達が、人生の生存競争に勝ち残っていない事に気がついた。
その時私は『人生は厳しい』の本当の意味を知った。
恐らく世間で使われている『人生は厳しい』の使われ方の大部分は間違っていると思う。
彼らは、みんなが世の中から消えたくない一心で、あの手この手で人生を生きている中、自分は生き残るべき選ばれた人なのだと、心の奥深くに『驕り』を抱き、無意識に生きるための努力に手を抜いてしまったのだ。
つまり『人生は厳しい』のは、単純に舐めてかかれば痛い目に遭うからである。
常に人生のやり方を考え、
常に人生のやり方が最善かを疑わなければ、
人生で生き残れないからである。
公務員になれるのが一握りで『人生は厳しい』ではなく、公務員になっても将来が安泰ではないから『人生は厳しい』なのである。
『世の中は厳しい』
思い付き程度の人生のやり方や、自分は大丈夫だろうという生半可な気持ちの人生のやり方では、世の中ではまるで通用しないからである。
『人生は厳しい』
その『厳しい世の中』を生き抜いて行かねばならないから、『人生は厳しい』のである。